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泥沼共依存長兄松

なんで私の長兄松解釈が泥沼共依存になるのかというと、おそ松もカラ松も「相手が自分のほしいものを与えてくれている」からなんだと思います。おそ松にとってカラ松は「自分を兄にしなかった唯一の弟」なんですよね。自分で「お兄ちゃん」とか「長男」とか言ってるぐらいだから「おそ松兄さん」になることが嫌なわけではないのかもしれないけれど、「おそ松兄さん」と「おそ松」では違うんだろうなと思います。カラ松はカラ松でみんなが「イタいイタい」と言ってくるのに対しておそ松だけは「変わらなくていいよ」とそのままの自分を肯定してくれているんですね。たとえそれがおそ松の「松野家の6つ子」という枠組みを、自分の世界を守るためのエゴであったとしてもカラ松にはそれが優しく響いた。他の誰も与えてくれなかったものを相手は与えてくれたんです。そりゃあ相手に縋りますよね、依存しますよね。ってことで私の中の長兄松解釈は泥沼共依存です。


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