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"私"と"わたし"と"誰か"

"私"は今のサラちゃんで"わたし"は幼少サラちゃんという感じがしますが、"私"は"わたし"を奥にしまっておいているみたいですね。"みんな"といるからしまっておいている、ようなことを言っていたので"わたし"は"みんな"と出会う前のサラちゃんなのかなと思いました。でも"みんな"と出会う前っていつの話ですかね。今の時間軸か、本当に一番最初か。一番最初だとしたらセスクさんとのパン屋の記憶の齟齬についても辻褄が合うのかもなぁと思いました。でもセスクさんの中身から考えるとこのパン屋のくだりはそっち(セスクさんの中身)の方の伏線だったとも考えられますよねぇ。

サラちゃんが奥にしまった"わたし"とは一体なんなのでしょう。"思い"とは言われてますけど。8部で「昔は泣き虫だった」みたいな話が出ているので、泣き虫だった自分のことなのかなぁ。泣き虫……というか寂しがりやな自分ですかね。寂しがりやだったけど、今は"みんな"といるからその寂しがりやにいる自分は奥に置いてる、みたいな。

あと8部ラストのモノローグは、"わたし"(幼少サラちゃん)を見ている別の誰かという感じがすると 9部の感想 で書きましたが、なんか……あれですかね。「サラちゃんと同じような境遇の誰か」ですかね。お互いの話がお互いの伏線になっている……みたいな……。そういうことしてきそうじゃないですかテイルズオブリンク……。蒼紅の御使い編で蒼い魔物と紅い魔物を出してきてたじゃないですか……そういう……ノリの……あれなんじゃないですかね……(?)

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