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ギャグに必要なもの

そんなもん私が知りたいわって感じなんですけど(笑)、まぁなんとなく思っていることを備忘録的に……
 
ギャグを描く上で必要なものって、案外「突拍子もない発想」とかでは無いんですよね。いや「突拍子もない発想」も必要にはなってくるんでしょうけど、「突拍子もない発想」を出すために先に必要になるものがあるんですよ。
個人的には、ある程度人の思考が想像できる能力みたいなものがそれかなと思ってます。「普通に考えたらこういう状況のときはこういうことが起こってこういう反応をするだろう」という一般的な(?)思考がわかること、ですね。それがわかるから、敢えてそこからちょっとずらしたことをやって「なんでそうなるのwww」っていうギャグを作れるんだと思ってます。
当たり前に想像できる展開を当たり前にやってもギャグにはならないんですよね。想像できちゃうので、「そりゃあそうでしょ」としかならない。「おはよう」って言われて「おはよう」って返すのはまぁ当然ですよね。普通ですよね。「おはよう」って言われたら「おはよう」と返す(何のCMだ)という当たり前がわかっているので、「おはよう」と言われて「ごちそうさま」と返す展開みたいなのが描けるんですよね。
 
あと、「何が起こっているのかを伝えられる能力」も必要だと思ってます。これはギャグに限らずかもしれないのですが、「どういうこと?」と読者に思わせない能力(?)です。ギャグに関しては「何が起きているのか、どういうことなのかを理解する時間」が生まれてしまうと、「あ〜、なるほどそういうことね!」という感想になってしまうんですよね。すんなり笑ってもらうためには、そこで立ち止まらせてはいけないんです。
そうしないために何が必要かというと、結局人の思考がわかる能力に戻ってきちゃうんですけど(笑)。「この表現だと読んだ人が素直に理解できるか、理解するのに時間がかかってしまわないか」がわからないといけないんですよね。(あえて理解に時間をかけさせるという手法もあるけど、それをやるにも人の思考が想像できないといけない)
 
いや〜、難しいですね!ここまで書いてきましたが、普段自分がちゃんとそうやってできているかは自信ないです!!(笑)実際描いてるときってあんまり何も考えてないので……。
あともちろんですが、必要な能力は他にもあるはずですよね。個人的に言語化して伝えられそうなのがこの辺りかなという感じです。アウトプットするのは大事なので……。うん……。人の参考になるかはわかりませんが、私の参考にはなりました(?)

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自解釈論文

私は割と自分の解釈をまとめるために二次創作をしている節があります。だから何かを語るときに過去の自作を持ち出しがちなんですよね。その話(解釈)についてはここでやってるんでここを参照してくれって感じで。
つまり過去の自作は先行研究なんですよ……(?)。最近二次創作のことを「自解釈論文」とも呼んでいます(笑)。ついでに言うと、自作のあとがきも論文だなって思います。自作が論文(先行研究)なら、それに基づいて書かれたあとがきも論文なんですよね。
 
ちなみに自解釈をまとめているつもりなのはシリアスの方の話なんですけど、じゃあギャグのことは一体どういうつもりで書いてるんですかね(笑)。私は……一体……何を思ってギャグを……?
まぁ強いていうなら「こういうこともあったかもしれない」って感じですかね。それもある意味解釈でしょうか。そういうことにしておいてください……。
 
しかし二次創作を論文って言うと、いろんな論文の集まるアンソロは論文集になるんですかね?そしたらピクシブとかはサ●ニーになるんでしょうか(笑)

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寄り添い寄り添われ

ロイドの居る人生 を書いていて思ったのですが、これってすごいことですよね。今までに自分が触れてきた作品の登場人物達って、自分の人生の中に確実に"居る"んですよ。なんだかとても幸せなことだなぁと思いました。
物語に触れるということはそこに登場する彼らの人生に寄り添うことでもあって、彼らと一緒に笑ったり泣いたりするわけじゃないですか。共感したり、時に希望をもらったりもする。そうやって同じ時間を刻んだ彼らは、私達の人生にも寄り添ってくれる存在になるんだなって思いました。
ちょっと凹んだ時なんかに彼らのことを思い出して「やっぱり私も頑張ってみよう」って思ったり、彼らの楽しい日々に思わず頬が緩んだりするんですよね。私達が彼らの人生に寄り添ったように、彼らも私達の人生に寄り添ってくれるのかもしれないなって思いました。
そう考えると、自分の人生は今までに出会った沢山のキャラクター達に彩られて、時に励まされもしながら進んでいるような感じがします。なんだかいいですね。自分の人生にいろんな人が居る。「自分の人生」だから、結局歩いて行くのは自分だし、自分だけだし、誰も同じ道を歩いてはくれないけど、でも今までに出会ったキャラクター達は確実に自分の道に立っていてくれるんだなって思います。歩いて行くのは自分一人だけど、その道に居るのは自分一人じゃない。急に自分の道が騒々しくなったような気もしますが、それはとても幸せなことなんだろうなって思いました。

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生産力のあるクールなオタク

度々口にしている気がするのですが、私は「生産力のあるクールなオタク」でありたいんですよね。「ありたい」というか「なりたい」というか(まだなれていないと思うので)。
そもそも私の言う「生産力のあるクールなオタク」ってなんやねんという話なのですが、こう……生産力のある……クールなオタクです……(説明になっていない)。
「生産力のある」は、まぁそのままですね。語ったり何か作品作ったりしている、ってことです。一方「クールな」は、上記の生産活動以外のことには寡黙、という感じでしょうか。「オタク」はオタクです。
要するにですね、淡々と粛々と生産活動をするオタクでいたいってことです。そのようなオタクのことを私は「生産力のあるクールなオタク」と称しています。
 
いや……なんかもうね……本当そうありたいんですよね……(?)
他のことを考えず、ただ推しを見つめ、推しについてだけ心を砕いていたいんですよね……。
正直なところ「周りに振り回されない」っていうのもちょっと入っているかもしれません。私は推しと対話し(自身の中の推しの解釈を突き詰めていく作業)、そしてその結果を自分なりにまとめたい(ここが生産活動にあたる)んですよ。その行為がしたい、というのが多分一番大きくて。だから「周り」に振り回されている場合ではない……というか……うるせー俺は推しとの対話に忙しいんじゃという感じですね(?)
そもそも、イデアは原作じゃないですか(イデア論の説明は気が向いたら追記にでも入れておきますがプラトンのあれです)。
だからそちらを向いているべきだし向いていたいんですよ。イデア以外は全て虚像のはずなんですよ。だから幾ら私が推しと対話しようとそれをまとめようと、それ自体がイデアには成り得ないんです。わかってるんです。それでもイデアの方を向いて、(イデアそのものは見えないけど)零れ落ちる光をかき集め、繋ぎ合わせて、イデア……になるべく近いもの…を、自分の手の中にも持ちたい。イデアそのものを手にはできないから、なるべく……近いものを……という……感じ……になるんですよね……多分……。
なんだかちょっと逸れたような気もしますが、だから私は周りに振り回されず、ただ自分の中の推しの解釈を突き詰め、まとめてアウトプットする「生産力のあるクールなオタク」になりたいのです。

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縦ずどーん

webの縦読みだと縦にずどーんって割るコマ割りがいまいち「効かない」んだなぁって自分の漫画(どれとは言わんが)を読み返していて思いました。
縦にずどーんっていうのはこういう……こう……これです……①です。
横にめくっていたら次のページで①の全景が見れるんですけど、縦スクロールだと、②(次のコマ)も同時に目に入ってきてしまうんですね。しかも②と同時に見える①は①の全部ではなく上部という……。
漫画って基本的に横長に割ることが多いと思うので、たまに縦長ずどーんを入れると効くんですけどね。web縦読みだと効き辛くなっちゃうんですねぇ。ふーむ。
ちなみにこれ、「縦スクロールしていかないと1P全てが見えない」場合の話なので(支部とか)、1Pが一画面に収まる場合はそこまで効力失わないんじゃないかなって思います。媒体によって変わるのはおもしろいですね。
 
「コマ割り難しい〜」みたいなのはたまに見ますけど、コマ割りってメソッドがあるしそれをいろんな人が紹介してくれているのでその辺に則ればまず間違いなんじゃないかなと思います。まぁ私も詳しくは知らないですけど(だめじゃん)。
個人的には淡々とした感じの、ある程度空白があるタイプが好きなので、自分で描くとそんな感じですね。yukmsm先生のコマ割りがめちゃめちゃ見やすくて好きです。
 
というか、メソッドがあるっていうなら「web用の」メソッドっていうのもあるんだろうなぁ。は〜奥が深いですね(?)

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