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後発価値

最近ふと思い立って2、3年前?の絵をツイッターに上げていたんですけど、どこからともなくふぁぼをいただいてまして。ありがとうございます〜。
それでですね、「お?もっといろいろあるけどね?見る???」みたいな気持ちになったんですけど(チョロい)、紙でしか残ってないのでアップするにはスキャンしないといけないんですよね。それが面倒くさいとかそういう話ではなく、以前アップしたときのものがそのまま残っていたらリンク貼るなりして引っ張ってくるだけなんだよなーって思ったんですよ。当時もピクシブやツイッターには上げていたわけなので。でももうその時のアカウントは消してしまったので無いんですよね。あー、なんか勿体無いことしたのかなーってちょっと思いました。
よく考えたら自分だって「なんで消したん!?!???」って人に対して思うことあるんですよね。すっごい好きで毎日見に行っていたような作品がある日突然消えていたときとか、ちょっと前が最盛期のジャンルにハマったときとか(笑)。
なんというか、そうやって残しておくことや続けることで生まれる価値っていうのもあるんでしょうね。何年か後に突然そのジャンルにハマった人が自分の絵に辿り着く可能性だってあるわけですし。マイナーだったりすると尚更「ある」ってこと自体が有り難い場合もありますからね……。わかるそれな……。
でもそういうのって、後からそうなるものだから、「今」はやっぱりわからないんですよね。「今」がどんどん流れていく現在の時流だと、「今」の一瞬で評価されないと凹んでしまうこともままあるわけで。それで凹んでやめちゃったり消しちゃったりね。
むしろこういう時代だから蓄積されているものに価値が生まれるってこともあるのかな〜。どんどん流れていくからこそ、流れた後に「流れたからもう誰も見ないし消していいか」になりがちなんだと思うんですけど、後に「今も残ってるじゃん!」って見つける人はいるはずなんですよね。せっかくならその可能性に期待したいですよね。上げる側も見る側も。
 
単純に「消さないで残しておく」ぐらいなら自分にもできそうですけどね。いや私割とホイホイ作品とかアカウントとか消すタイプなので全く説得力無いですけど……(自分の好きなようにやるのが一番ですし)。でもまぁそういう、残しておくこと・続けることそれ自体にも意味があるんだなーってことは心に留めておこうと思います……。

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継続は力なり

何かを続けようと思ったときに続けるコツはですね、「自分にできるノルマにする」ことです。
継続すること自体が目的の場合だけかもしれませんが、とにかく続けたいのであれば自分に続けられるハードルにしておくといいと思います。
前にお話したかもしれませんが、このブログも自分が続けやすいようなハードルを課してます。今は週一更新なので割とゆるめですね(ちょっとゆるめすぎてゆるゆるになっている気もしますが)。続けやすいようにしているので続いています。
あと実は(?)普通に日記もつけてるんですけど、こっちは10年以上続いてますね。日記は毎日書いてますが、書き忘れたら次の日に書けばいいやぐらいの気持ちでやってます。量も一日2行以上なので大して無いです。でも気づいたら10年経ってました。まぁこれは続けようと思ってたわけでもないんですけどね。もはや癖みたいなもんです。けどたとえ一日2行でも10年以上書いていたらとんでもない量になってますからね。さすがに数えたことはないですけど(笑)。
そう考えると、続けることで得られる価値というものもあると思うんですよね。一回一回は大したことなくても続けたから価値になったというか。価値って言葉を使うとなんだか妙な感じはしますが。まぁ何事もやらなければ始まらないですしね。単純に「続ける」ということが目的だったとしても、その先に何かしら別のものが生まれているなら素敵だなと思います。

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それだけではないそれだけ

上手いの定義はいろいろとあると思いますが、ここは技術面の話であるとして、私って別に絵が上手い方ではないじゃないですか。めちゃめちゃ下手とかいうわけでもないとは思うのですが、だからといって上手い方の部類に入るわけでもないと思うんですよ。
でも漫画は描けるって感じのタイプなんですよね。絵は上手くないけど漫画が描けるタイプ。いや漫画も描けているのかわからないですけど(笑)。
そのタイプだからかあまり絵そのものについて何か言われたことってあまり無い気がするんですよね。漫画の内容や作風についてのご感想は頂けることがあるのですが、絵そのものの感想ってあまり頂いたことがないんですよ。ツイッターでよくある(?)自分の絵柄を例えると何かアンケートとる、みたいなタグあるじゃないですか。ああいうのやってみても絵柄そのものに関してのイメージというより、普段描いている漫画のイメージに引きずられているのではという感じがするんですよね(まぁ私の作品をどう捉えるのかなんて人それぞれなんですけど)。
 
……と、そんな感じのことをぼそぼそっとツイートしていたら「私はあなたの絵が好きだよ」って言ってくださった方がいらっしゃるんですよ。その時思いました。あぁそれなんだなって。上手いとか下手とか作風とか絵柄とかそういうことじゃないんですよね。ただ自分の描いたものに対して「好きだよ」と言ってもらえること、それだけで充分なんだなと思いました。すごく嬉しかったし、なんかごちゃごちゃ考えていたのが一気に吹き飛びました。上手いとか下手とかもうどうでもいいですね。誰かに好きって言ってもらえたのならそれだけで嬉しくなるし、また描こうって思えるんですね。それだけのことでよかった。
 
「それだけ」とは言いましたが、誰かに「好き」と言ってもらえるのは「だけ」では済まない大きなことだと思います。前に、「ネットに多くの作品があふれるようになったから一つ一つの作品にかける時間が少なくなった」というような話を少ししましたが( 好きが溜まる場所 )、描く側も人からの感想をすぐに消費してしまっているなぁと思うんです。大変申し訳ない。感想が頂けるのって本来は読んで字の如く有り難いことなんですよね。私も感想を頂くことはそんなに多くないのですが、それでも、いやだからこそ、頂いた言葉は大事にしていきたいと思います。今まで私にお声がけくださった方も、これからくださる方も(?)ありがとうございます。それだけではないそれだけに大変支えられています。

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怖くないほんこわ

夏なので怖い話でもしようかなと思います(唐突)
去年したような話( 夏の夜の怖い話 )ではなく、本当にあった話の方です。自分の体験談ではあるのですが「あれなんだったんだろうなー」ぐらいの感じなので特にオチはないし多分大して怖い話でもないと思います。ただ今までの人生で体験した唯一のそれっぽい話です。
一応たたむ。

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スクランブル交差点

SNS等における同ジャンル者との付き合いについて、個人的にはスクランブル交差点のような感じでいたいなぁとふと思いました。
スクランブル交差点って人の流れが四方八方じゃないですか。みんなそれぞれ行きたい方へ向かっていく。たまに同じ方向の人もいますけど、別にその人とは知り合いじゃなくて。(知り合いと歩いてもいいんですけど)
そんな風にいろいろな人がいろいろな方向へ各自好きに歩いていくっていうのがいいなぁと思います。でもよく同じ方向に歩いていく人がいるなぁとかこの人とはよくすれ違うなぁとか、ずっと同じ交差点を使っていたらきっとそういうのもあるんですよね(毎日同じバスに乗っていると絶対に見かける人がいるみたいなあれ)。そういう人とは何かのきっかけで少しお話したりとか一緒に歩いてみたりだとかそういうこともあるのかもしれません。個人的には人との付き合いはそのぐらいがいいなと思います。みんながみんな同じ方向に進んで行くとかなんかやたらぶつかってくる当たり屋がいるなとかそういうのはちょっと疲れるなぁと思ってしまうんですよね。
まぁこれは性格の問題なんですけど。割と昔から集団の中にいると心が死ぬタイプなので……(社会生活に向いていない……)。とあるコミュニティの中でそこにいる人たちと親しくなるよりは、行きずりの相手と少しだけなんてことないおしゃべりをしてすぐに別れて〜みたいな方が好きなんですよね。一期一会というか……私の好きな言葉は袖振り合うも多生の縁なんですけど、そういう感じの。
 
ちなみに私はこのブログのことをよく山とかなんとかいう風に称しますが、ここは私が腰を落ち着ける場所であり人がちょっと遊びにも来られる感じの山でありたいですね。山の入り口自体はそこまで公にはされていませんが入ること自体は可能なので、何かの縁でこの山にたどり着いた人がその辺に生えてる紅葉なんかを見てちょっと楽しくなってくれたらいいなって思います。その紅葉、実は私が育てました。
ずっと人のいるスクランブル交差点にいるのも疲れますもんね。私も自分の山で紅葉見ながらぼーっとしているのでたまに遊びにきてくださいな。
 
あとこの山、管理者への連絡がとれるようになっているので、「その紅葉……ええやん……?」みたいなことを言いたくなった場合は直接お伝え頂けると山の管理者は喜ぶのでよろしくお願いします(笑)。

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